玉椿センチュリーマンションのこの部屋が本来の目的で使われたのは、1996年が最後で あった。理由は色々あるけれど、家族が代わるがわる身体を壊したのが大きい。その後、 母が親類の建具業者を連れて"状況調査"に行った2000年には「住居として使える状態では ない」との判定が下されていた。 次姉が難病を患って早逝した後、両親は一気に老い込んでしまい、そろそろ手を打たね ば……と、筆者が久方ぶりの"椿通い"をすることになったのである。 |
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原形と改修後のバルコニー柵。原形の方、既に数本の縦部材が歪んでいるように見える のはレンズ性能のため?(ではないような気がする……) 右画像は2014年とかなり後の写真。柵は二代目どころではないかもしれない。売却準備 を始めるに辺り、何よりもまず腐食のため開閉不能になっていた窓サッシを交換。工事の 完了を親に知らせるためケータイ・デジカメで撮影したもの。右下の"箱"は1970年代生ま れのブラウン管テレビ(チャンネルをガチャガチャ回して変えるヤツ)。 |
……というような、マンション売却の話ばかり掲載するページではないのでご安心を。
椿駅 1986. 8 以後、特記以外は椿駅での写真
一眼レフ(ミノルタX-700)導入は1985年だったが、鑑賞に耐える紀勢西線の写真は1986年以 |
1985. 1 椿で撮った定期気動車急行はこの一枚 |