朝来駅の「乗車券発売所」で売られていた硬券乗車券。発行は D紀伊田辺駅と印刷されている。天王寺まで、と帰りの切符を買 おうとしたら「(運賃表距離区分の関係から)この方が安くなるの で」と2枚を発券してくれた。"通し"だと2800円になる。 アナログ時代ならではの配慮で、これもまた懐かしい。 |
周参見駅 1987.10
当初はこの写真から改札部分と「完全手 その後、周参見も「駅員配置駅」ではな |
帰りの特急券を周参見で買うと発着駅が印刷されていたので、"西"標記が記載されるようにになった、 地紋が"こくてつ/JNR"から"JR/W"に変わった、と券面の変化を確認する度に(椿から)周参見まで 買いに行っていた。でも、どうして「くろしお_号」は印刷しなかったのか分からない。 |
1988. 7 この夏から臨時急行の列車名 |
(昭和63年=1988年) 「第二の我が家」を前進基地にして古座川橋梁へ撮影に行った際の、思わぬ「涼しさ」に味を占 め、古座から御坊まで僅かに100kmを下回る距離であることにも目をつけて(ひと区間先まで買え ば御坊で途中下車となり、"着駅式A型硬券"を確実に持ち帰れる)、翌日は紀州鉄道を撮りに行って いる。古座川の岸辺と比べれば、御坊市内の平野部は"それなりに"暑かったけれど(笑)。 椿で途中下車が出来ることから、A型硬券1枚1,800円が安く感じたのは今でも覚えている。椿 が拠点だと「青春18きっぷ」はさほど割安にならず、何百円か高い程度なら硬券の方が魅力、とい う訳で、中学・高校時代は一度も18きっぷを使わずに終わった。 発行がD串本駅ということは業務委託だったか? でも○囲みムの記号はない(謎)。 学校が方針転換をし(成績が思わしくないため6年完全一貫教育を諦めた)、高校から入学してきた 連中と一緒に「その他大勢クラス」に組み込まれてからは、数学の落ちこぼれが解消。一転して学級 内で首位争いを演じることになった。担任(今度は超得意科目である現代国語の教師)からはっきりと 「今以上の家庭学習時間はオマエには必要ない」と言われたりしたもので(目の前の点取り競争にム キになるな、という意味)、1988年の夏休み期間は4回も撮影に出かけている(3回は紀勢西線)。 といっても、1987年は現実逃避で遊び回っていたからあまり行動に変化がない訳だが(爆笑)。 |
1988年夏に「玉椿センチュリーマンション」の廊下からこんな写真を撮っていた。椿温 |