著作権所有者の許可を得て掲載する電化開業直前の椿駅……というのは嘘で(笑)、停
左手ホーム、2本目の架線柱手前に妙な物体が写っているのがお分かり頂けるだろう。 |
嘘ついでのフェイク画像。マイテ勝浦じゃ
椿と白浜は"本線"でも"待避線"でも下り列 |
こちらは正真正銘"紀勢西線電化直前" だった時期の椿温泉(母親撮影・部分伸) コンクリートの建物は右がヴィラ椿3号 館、左は同じくヴィラ椿の5号館。後者 は現在と外装がかなり異なっている。 ここで気になるのは右下の古そうな木 造建築物。正体を探る術はなし。 |
(昭和52年=1977年) 父親がこんな切符を"保管"していた(まだ紀勢西線は非電化である)。座席を占有する場 合は幼児でも小児乗車券が必要なので、使ったのは筆者か次姉か不明。 蒐集対象としては"小児断線"で切られた硬券は価値が半減以下とみなされるので、むし ろ"市場"には出回っていないかもしれない。椿駅発行の文字が駅員配置駅の証! 急行は夜行便を除きすべて椿に停車したことから、発駅は印刷済。電化前、紀伊半島半 周急行は「紀州」で、新宮以西の列車が「きのくに」を名乗った。当時は天王寺-椿間運 転の急行も一往復あったのだけれど、それだけ需要があったというよりは、白浜駅構内留 置線の容量が要因だろう。筆者が"鉄心"ついた後になって、父親が懐かしそうに「昔は椿 止まりの急行があって、空っぽになった列車が長いこと3番線に停まってた」と話してい たのを覚えている(画像は新宮発「きのくに」の指定券ながら、偶然にも電化後は「きのく に5号」が椿始発となった。椿着が夕刻、椿発は朝方だったけれど、椿で夜明かしではな く白浜へ回送されていたと考えられる)。 電化後しばらくは、片道1本だけ鳥羽発天王寺行の長距離「きのくに」があったことか ら、鳥羽-紀伊勝浦の「はまゆう」は1.5往復の変則運転であった。和歌山・桜井線を経 由した「しらはま」も1.5往復で、片道1本は新宮発(!)橋本・桜井・奈良経由名古屋行、 こちらは対になる列車が時刻表では分からず、謎多く興味深い存在(他の1往復は白浜-京 都)。 |
和歌山線 岩出駅
急行「しらはま」のイメージ画像を作ってみた。 |