人影のない海岸で、マスク外して思い切り海の空気を吸って、心の充電、完了~!

椿漁港から玉椿センチュリーマンション

椿漁港の突堤から 2021. 3

 手前が玉椿センチュリーマンション、奥はヴィラ椿3号館。
 ここに「第二の我が家」がなくなってからは初めての訪問。風景に感じる懐かしさは
変わらない。特に旅好きではなく、早い時期に「第二の我が家」から遠ざかった長姉も、
リフォームの際に訪れたときの様子を報告すると、懐かしそうに昔話を始めたものだ。
 それは、ここが「我が家」であると同時に「非日常」の場であったせいかもしれない。
実家(=第一の我が家)に染みついた"日常の憂さ"が、ここにはなかったのだ。
 漁港の向こうに広がる岩礁へは、二つしか進入路がない。一つは漁港の隅にある分か
り辛い抜け道(8ページの下写真が抜け道部分)。もう一つはマンション地下2階の勝手
口から下る経路(奥からヴィラ椿3号館の方へは上がれない)。そのため、岩礁は事実上、
センチュリーマンション入居者のプライベートビーチならぬ「プライベート岩礁」とな
っている。

 その岩礁で母がこんな写真を撮っていた。PAX35に付いていたレンズって、初期の「バ
カチョンカメラ」ほど広角系ではなかった筈で、これほどの角度にしようとすれば、かな
り高い位置から撮るしかない。具合のいい段差をよく見つけたなぁ。

 

 

 「椿口」バス停付近 2021. 3

 その昔、赤枠の位置に噴水があり、遊戯施設「白浜国際ボウル」営業時間は虹色の夜間ライ
トアップも行われていた。写真のコンクリート構造物はずっと新しい時代のもの。
 どうやって(噴水の)水に色を着けているのかと問う幼い筆者に、水に色が着いているんじゃ
ないよと笑ったのは、母だったか次姉だったかもう覚えていない。そもそも、日の暮れた後に
どこへ出かけたのやら(現在と違い、行先はいくつか考えつくが)。
 あの「白浜国際ボウル」って、営業していたのはどのくらいの期間だったろう?
 玉椿センチュリーマンションの完成が1974年。開業はそこから大きく離れてはいないと考え
られ、せいぜい5年くらいではないか。なにしろ筆者の「物心つくかつかないか」ギリギリの
線に、紀勢西線電化と「白浜国際ボウル」閉鎖が並ぶように記憶されているから。閉鎖から解
体までもごく短期間だったような気がする。昔のこと過ぎて、インターネットは情報源として
無力だ。
 2021年時点では、国道沿いに「フラミンゴ」の名を記した廃店舗が残っていたけれども、こ
れは3代目に当たる(ごく短期間、海岸沿いで営業していたのが2代目)。

 

 

 

集落と朝来帰川 2021. 3

 県道「紀伊椿停車場線」と郵便局を結ぶこの橋、1990年代まで橋脚2本を持つ見事な
木造橋であった。どうして写真を残さなかったのかと思う。余ったフィルムの消化としか
思えないコマが大量に残されているというのに(苦笑)。
 昔は川沿いに食料品店「カワキストア」があった(この写真では構図外)。
 集落名も朝来帰だと思っていた(地理院地図ではそう読める)けれど、道路標識には「白
浜町・椿」とあって、何だかよく分からない。