名松線 伊勢奥津駅 1985. 6
駅舎のつくりが椿とそっくりなので |
開業当時の駅舎が残る、という表現は書籍でもWEBサイトでもお馴染みだけれど、 改装はどこまでが"許容範囲"になるのだろう? 柱と屋根さえそのままなら「開業時 の駅舎」ということか……。羽目板がモルタル(?)で埋め込まれ、屋根瓦が派手な色 に塗られたのを「開業当時の……」と言われると「違う!」と反発したくなる。 |
1986. 8 167系編成ながら4号車はクハ165
臨時電車急行「きのくに52号」は、ちょうど椿で381系定期特急「くろしお」と行き違う。 |
1986年7月のある日、次姉がこう尋ねた。
「友達を連れて椿に行きたいんやけど、おトクな切符ってある?」
あいにく、距離が近過ぎて往復割引はないし、着駅が椿では”Qきっぷ(特急自由席利用の往復割引切符)"
の設定もない。
「トクな切符はこれといって無いけど、この夏は臨時急行がほぼ毎日走る。特急よりは安い」
時刻表で調べて具体的に料金差を示し、座席構造の違いも説明したら、
「それ、ええワ。それで行く」
天王寺発7時20分。早めに行って自由席に座る(実家から天王寺駅まで30分ほどかかる)、という次姉を
見送っていくらも経たないうちに、母親が大きな声を上げた、
「あれェ、あの子、マンションの鍵を忘れて行ったよ」
イヤーな予感がした……かどうかまで覚えてないけれど、
「アンタ、学校へ行くのに天王寺を通るんやろ。間に合うんなら渡してあげて」
問題の臨時急行「きのくに52号」は7月19日から運転で、まだ一学期が終わっていなかったらしくこっ
ちは中学の制服に着替えて既に登校準備を整えていた。
ヤレヤレ……という気持ちでいつもより一本早い電車に乗り、制服が似つかわしくない「優等列車専用」
の天王寺駅2番線へ向かう。
頭端式ホームの手前は白浜止まりの4両、その向こう、3・4号車が新宮まで行く自由席。
あ、いたいた。……でもなんで山側に座るかなぁ。
窓ガラスをノック。列車の窓は特急でなければ開くのが当然の時代だから、旅慣れた人なら開け方くら
い一般常識として知っている。
「鍵を忘れてるよ。お母さんが届けてやれって言うから」
自然な展開として、周囲から声が上がる。
「エーッ、弟さん? いくつなん? へーっ、中学生? キャーッ、$%&#」
最後の記号は何を言われたか記憶にないだけなのだが、逆算(?)すると次姉たちは女子大生、こちらは
男子校生活3年目。少しくすぐったいような記憶として「紀勢西線初の電車急行」の雄姿と共に心に残っ
ている。
(鍵を忘れて行ったにしてはみんな呑気過ぎないか、と思われるかもしれないけれど、リゾートマンショ
ンにはフロント業務があり、簡単な本人確認で鍵は貸して貰える)
次姉は40代で早逝。健在なら公表しなかったろうなぁ、この逸話。
1986.12 "急行型のいる風景"が日常と |