1989. 4
1989年の春臨が、臨時夜行快速とその"帰区列車" |
1990. 8 和佐付近
あちこちで381系特急は撮影してきたつもりだったのに「いかにも振子式」っていう絵 |
幼い頃、乗り物酔いがひどかった。
あるとき、父親に「たまには(白浜から椿温泉まで)バスで行ってみるか?」と訊かれて、うっかり「ウン」
と答えたら、途中で車酔いを起こしてしまい、鉄道より海がよく見える車窓もろくに記憶に残らず、いつ胃の
内容物が「逆流」してくるかとヒヤヒヤし通し、それを訴えてみたところでどうにもならないことは子供心に
も経験として刻み込まれていたから、椿口の停留所に着いた頃にはフラフラ状態で無言のまま"第二の我が家"
へ転がり込んだ。
タクシーとなるともっと短時間でアウト。椿温泉-椿駅の路線バスは通学客優先で普通列車にしか接続しな
かったため、長めの滞在で荷物が多いときはどうしてもタクシーに乗せられる。往路なら集落の屋根越しにマ
ンションが見えてくるのが、復路なら山の間から紀勢西線の架線柱が見えてくるのが、ひたすら待ち遠しかっ
たものである。
蛇足ながら、椿温泉に明光タクシーの営業所があって、タクシー1台が常駐していたのも昔語り。
1979年の電化完成時に走り出した381系"自然振子式"電車特急が登場したときも、バスやタクシーほどでは
ないにせよ、途中で気分が悪くなった。
ただ、気動車急行の代わりに走り出した485系の(リクライニング機構のない)回転クロスシートがどうも好
きになれず、中学生になって行き帰りは親と別行動で「一人旅気分」を味わうとともに自分で好きな列車を選
ぶようになったあるとき、
『381系にも慣れておかないと、列車の選択肢が狭くなり過ぎる』
という妙な動機で、椿からの帰りに「381系くろしお」を選び、あえて山側に座った。
そして、ただただ前方を注視して、
「もうすぐ左カーブ、フワッと浮き上がるぞ……そーら来た」
「もうすぐ右カーブ、グウッと沈みこむぞ……そーら来た」
これをひたすら続けていたら、乗り物酔いを感じる暇もなく大阪平野までたどり着いていた。
不思議なことに、このとき以後、381系で気分が悪くなることが全くなくなった。成長とともに体力が向上
し、自然と車酔いがなくなったという話も聞くけれど、筆者は勝手に「自然振子での車体傾斜を身体に叩き込
んだ」あの2時間が効いたのだ、と固く信じている。
大学生になって行動範囲が一気に広くなった後、少しずつ長時間のバス移動にも慣れた。それでも乗り物酔
いし易い体質は変わらないようで、母親が救急搬送されたときに救急車の付添人席で車酔いを起こしたときは、
ほとほと自分が情けなかった。
初めて乗った「制御付き自然振子」の車両はJR四国の2000系気動車だったと思う。これ、知識がなけれ
ば振子式って気づかないのでは? というくらい滑らかな動作に感心したけれど、駄目な人は「制御付き」で
もやっぱり乗り物酔いを起こすそうである。
1989. 8 出来立て……じゃなくて改造 |
和佐 1990. 8 むしろこの方が"振子式"であることが分かり |