国道42号線の標識 2021. 3

 駅の衰退ぶりを表現したかのような標識
の掠れ方に、思わず笑ってしまった。

 

 

 

2021. 3

 もとの島式ホームにはこのような柵が設置されていた。ホーム延伸工事中の写真を残して
いるだけに、感慨もくろしお、じゃなくてひとしお。

 

 

 出札口を活用した「乗車券発売所」で売ら
れていた硬券特急券。緑色地紋は通常期、柿
色地紋は繁忙期。発行は途中でF白浜駅から
C周参見駅に変更されている。しかし「スー
パーくろしお」のゴムく印らい用意できなか
ったものかねぇ(笑)。

 

 2度目の「無人化」がいつだったのかは知らない。普通列車が通勤型になったことで南紀
から遠ざかり、マンション売却準備で椿に来た際、"白浜行最終バスに乗れなかった"とき止
むを得ず駅へ来て、窓口が閉まっているのを知った。
 町としては「高速道路も出来たことだし駅なんかもうどうだっていい」という姿勢なのだ
ろう。
 105系の置換後も通勤型のままとなることは予期していた。213系(瀬戸大橋を渡る"マリ
ンライナー"初代車両)ローカル転用が決まった際に、これが紀勢西線へ回って来ることをか
なり期待して、105系新製車(3扉車)玉突き転配という結果を突き付けられたとき、妙に諦
めがついた(そんなに乗ってほしくないのか、ウン分かった。もう乗らない)。
 白浜から椿(温泉)までバスの便があるうちは、冷めた目で意地悪く駅の更なる衰退を見守
って行こうと思う(信号場格下げが先か、白浜以南の廃線が先か、筆者がクタバルのが先か。
多分3番目が正解)。

 

 

2021. 3 

 良き日の面影を構内の片隅に発見。
駅員がいた頃の駅舎を思い出す。左端
だけが現役らしく、必要最低限の補修
痕が泣かせる。手前のコンクリートは
何だろう。転轍小屋なら土台がこんな
に平板じゃなかろうし……

 

 

駅前にあった喫茶店の痕跡(手前の草地には土産物屋があった) 2021. 3

 

 

 まだまだ語り足りないような気も、個人的な追憶を語り過ぎたような気もする。
 企画の初期段階では、文章は最小限にして椿駅の衰退を画像で淡々と示していくつもり
でいた。ところが、いざ写真を選び出していたら、1990年に入った途端に掲載すべき写真
がなくなるという問題に直面。母親が撮った写真を実家で発掘したこともあり、このよう
な構成に行き着いた。2010年代後半になって、更新が止まっているインターネット初期の
情報源がサーバーごと消滅するという事例が相次いだこともあり、思い出の片隅をほじく
り返すかのごときこの企画も、それなりに意味を持つのではないかと期待している。

 

 

天王寺駅の長距離列車専用1・2番線

阪和線 天王寺駅 1985. 3

 紙焼きよりネガの方が褪色しやすい模様……
 一眼レフに装填した初めてのネガからこんな絵が切り出せた(部分伸)。定期気動車急行の
廃止まであと数日とはいえ、1往復ではなかったこと、トレインマークもないことから、人
出はこの程度。この日に運転されたマーク掲出の臨時列車「さようならDCきのくに号」に
は人だかりが出来た。
 最終日の午後は、新ダイヤ初日の下り特急に充当する車両を送り込むため「485系急行」
が走ったそうな。その日は学校行事のため大阪におらず、インターネット時代になって初め
て知った。

 

 

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