母親撮影 1975前後
主に母親が撮った昔々の写真を再確認していたら、"入口画像"の元写真に「玉椿観光白浜国際ボウル」の |
母親撮影 1975前後 部分伸。記憶から失われていた「とん | |
国道から 2021. 3 2021年の「とんだや旅館」跡(擁 |
漁港から 2021. 3
枠線内の擁壁がおそらく「とんだや旅館」の基礎部分だと考えられる。 木造の差掛け小屋跡は後年のものだろう。 |
「とんだや旅館」跡にやたらと力を入れてしまったが、現在の椿温泉は廃墟だらけ。
その様子はストリートビューでも確認出来ることから、当サイトでは触れない。
鉄道から離れ過ぎたので唐突ながら硬券登場。ただ、珍券の部類なのに肝心の記憶が曖昧。 特に上の方。父親が「何となく捨てるのが惜しい気がして」と、分類整理する趣味はなかったのに 持ち帰った硬券を菓子箱に溜め込んでいた中の一枚か、鉄道雑誌に広告を出していた業者から通信販 売で筆者自身が買ったのか。気がついたら分からなくなっていた。 下は購入前後の記憶だけ鮮明。普通列車は待ち時間が長く、一旦はバスで紀伊田辺から白浜へ向か おうとし、営業所で運賃を訊いたら想像以上に(JRより)高かったので「それならSきっぷで特急に 乗る方がいい」と駅の窓口へ戻ったところ、思いがけず硬券が出てきて、再度計画を変更し復路は使 わずに持ち帰った。でも、なぜ手持ちの切符がない状態で紀伊田辺にいたのか、椿ではなく白浜を目 指していたのはなぜか、全く思い出せない(薄くて読み辛い日付の刻印は昭和63年=1988年)。 あっ。発売額900円、片道450円ということは、50kmまでの自由席特急券(当時600円)より安いの か。手持ちの切符がなかったのではなく、乗車券が重複してもバスに乗ることを考えたらSきっぷが 得、という判断だったかもしれない、 |