宮原機関区 1987. 4

 EF15 158はJR西日本に車籍が
引き継がれ、近畿圏の車両基地一般
公開には顔を見せていたものの、本
線上で自力走行したという話は聞か
なかった。
 パンタを上げて前照灯を点けるだ
けで現役っぽく見える。

宮原区一般公開でのEF15 158

 

 

稲穂の中を駆ける381系、もちろん国鉄塗装

紀伊富田付近 1988. 9

 椿から見れば「隣の駅」ということで、ここは地元感覚の定番撮影地であった。1988年の夏休
みで4回目となる撮影行は「2学期の始業式が9月3日」というのを利用したギリギリの日程(8
月下旬には全員出席の補習授業、実質的には通常授業があり、それが終わると始業式まで3~4
日の休みがあった)。高校生になった後では珍しく"第2の我が家"で母親と同宿(経緯は忘れた)。
9月に入った途端、夏休みの稼ぎ時はおしまい、とばかりにあらゆる店が一斉に臨時休業となって
しまい、
「これじゃここにいても仕方がない、予定を切り上げて帰ろう」
 と言い合ったのを覚えている。1987年と違い、この後は冬休みまで遠出をしていない。大学受
験が近づいたためというより、落ちこぼれから脱却して現実逃避の必要がなくなったため。

 

 

 

夕暮れの椿駅に停車中の165系普通列車

1988.12

 高校2年生の冬休み、リバーサルフィルムでの長時間露光撮影に初挑戦! あらためて
思う。2面3線、ホーム有効長21m車9両分というそれなりの規模を持つ駅で、ホームの
どの位置に立ってどの方向へカメラを向けても「駅施設と山」しか写らないというのは、
紀勢西線全体を探しても椿だけじゃなかろうか。
 列車の右奥に写った赤屋根はトイレ。2000年代以降に建て替えられ、今は駅舎よりも立
派、あるいは豪華になっている。
 元写真が「六切りサイズ」に引き伸ばしたプリントなので、スキャン後の画質がやたら
良好である(下画像の元写真は普通のL版)。
 別のコーナーに掲載している「これ」や「これ」も同じ日の撮影。

 

 

 1988.12

 

 

 開業時の駅名は「紀伊椿」で、五能線にあった「椿」が「八森」に改称されたことから、旧国名「紀伊」が
外されて現在の駅名になった。
 ……と椿駅に関する話だけを記せば何の不思議もない。しかし、どうも駅名重複に関する国鉄の姿勢は一貫
していない。関西本線にある「大和郡山市の代表駅」はなぜか『郡山』で、関西人には知名度が高い大阪環状
線の『福島』ともども東北本線と重複(市の代表駅とは「国鉄監修・交通公社の時刻表」巻頭索引地図の凡例に
記された用語で、路線図に◎で表示。いかなる組織が決めたのかは不明)。一方が「市の代表駅」という重複例
なら、他にも『橋本』や『高田』がある。
 『大久保』駅と『白石』駅がそれぞれ3つある、柏原は3つあるけれど読み方がすべて違う(かしわら/かい
ばら/かしわばら)というのは、よく鉄道クイズに登場する(国鉄時代は『旭』も3つあった)。
 それなら、初めから『椿』で重複させても良かったろうし、米坂線に「羽前椿」もあることだから改称せず
「紀伊椿」のままにしておいても不都合が生ずるとは考えにくく、どういう判断があったのかよく分からない。
 旧国名を付した駅がいくつもあるのに、国鉄線上に「本家」が存在しなかった例として、まっ先に『山田』
が思い浮かぶ(土佐山田/丹後山田/紀伊山田/陸中山田、旧国名以外に下山田/上山田/山田上口)ものの、
他にあるかどうか。
 私鉄に関しては、国鉄との「連絡運輸」を行っている(いた)かどうかで駅名の付け方が変わる。連絡運輸と
いうのは乗車券の発行についての取り決めなので、伊豆急行や伊豆箱根鉄道のように車両が乗り入れているか
どうかとは直接の関係性がない。旧国名を冠した駅名がやたらに多い会社は、1435mm軌間でも「連絡運輸」
を行っている(いた)と考えていいだろう。

 駅名の話となると、つい「国鉄」で筆(!)を進めてしまう。ほっとゆだ、とか、オレンジタウン、とか、地
名ではなく、日本語ですらない駅名が現れるようになってから、趣味の対象が「国鉄の駅名」もしくは「国鉄
時代のまま変わらない駅名」に限られるようになった。平成の大合併とやらの際、行政が滅茶苦茶にしてしま
った地名も多々あるし……

 

「紀伊椿」の駅名は県道の路線名に残る。
写真は部分伸、2021年。